ルソーのエミールは教育論の本なんだけど、後半部で何故か女性の性質について語っていて、ナンパの即にも通じる内容だったので面白かった。 

一部抜粋。

>性の交わりにおいてはどちらの性も同じように共同の目的に協力しているのだが、同じ流儀によってではない。その違った流儀から両性の道徳的な関係における最初のはっきりした相違が生じてくる。一方は能動的で強く、他方は受動的で弱くなければならない。必然的に、一方は欲し、力を持たなければならない。他方はそんな頑強に抵抗しなければそれでいい。

>この原則が確認されたとすれば、女性は特に男性の気に入るようにするために生まれついている、ということになる。 男性もまた女性の気に入るようにしなければならないとしても、これはそれほど直接に必要なことではない。男性の値打ちはその力にある。男性は強いというだけで十分に気に入られる。これは恋愛の法則ではない、ということは私も認める。  しかしこれは自然の法則であって、恋愛そのものにさえ先行することだ。

>女性は気に入られるように、また、征服されるように生まれついているとするなら、男性に挑むことはしないで、男性に快く思われるようにならなければならない。女性の力はその魅力にある。その魅力によってこそ女性は男性に働きかけて、その力を呼び起こさせ、それを用いることになる。男性の力を呼び起こす最も確実な技法は、抵抗することによって力の必要性を感じさせることだ。 

>そうなると欲望に自尊心が結びついて、一方は他方が獲得させてくれる勝利を勝ち取ることになる。そういうことから攻撃と防御、男性の大胆さと女性の臆病、そして強い者を征服するように自然が弱い者に与えてる武器、慎みと恥じらいが生じてくる。

>そういうわけで、女性は男性と同じ欲望を感じていてもいなくても、また、男性の欲望を満足させてやりたいと思っていてもいなくても、必ず男性をつきのけ、拒絶するのだが、いつも同じ程度の力でそうするのではなく、したがって、いつも同じ結果に終わるわけではない。攻める方が勝利を得るためには、攻められる方がそれを許すか命令するかしなければならない。攻撃する者が力を用いずにはいられなくするために、攻撃する者はどれほど多くの巧みな方法を用いることだろう。

>あらゆる行為の中でこの上なく自由な、そしてこの上なく快いその行為は、本当の暴力というものを許さない。 自然と道理はそういうことに反対している。自然は弱い者にも、その気になれば、抵抗するのに十分な力を与えているのだし、道理から言えば本当の暴力は、あらゆる行為の中で最も乱暴な行為であるばかりでなく、その目的に全く反したことなのだ。 

>というのは、そんなことをすれば男性は自分の伴侶である者に向かって戦いを始めることになり、相手は攻撃してくる者の生命を犠牲にしてでも自分の体と自由を守る権利を持つことになるし、また女性だけが自分の置かれている状態の判定者なのであって、あらゆる男が父親の権利を奪い取ることができるとしたら、子どもには父親というものはいなくなるからだ。

>見せかけや挑発のための拒絶は、ほとんど全ての女性に共通のこと、動物の間でさえ見られることで、喜んで身を任せようとしている時にさえ見られることだ。それを否定する人は女性のやり口を観察したことが全然無いに違いない。


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ようするにルソー先生は形式グダのことを解説してる。

グダは女性がこちらのことをどう思っていようが行う本能的なものであり、形式グダがわかんねえやつはモテねえだろ的な笑

良いこと書いてるけど、とても教育論の学者とは思えない(^_^;

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